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*役職はWITH YOU発行当時のものです。 |
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ある一つのアイデアが、それを取り巻く人間達の“知恵の輪”によって、予想以上に大きく実を結ぶことがある。
それまでの圧延設備とは一線を画す、適時・適量・適寸・適質を実現した、夢の棒鋼・線材圧延システム〔てきすん〕は、開発以来20年近く経った今なお、大同をして棒線のリーディングカンパニーたらしめる原動力であり、また同技術は世界のサイジングミルの主役を担っている。
今号は、この〔てきすん〕を題材にとる。一人の開発者と、それをとりまく人間模様こそが織り成した、世紀の開発の経緯に迫りたい。 |
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五月の大型連休は、稲守にとって日頃のアイデアを整理してまとめ上げる、いい機会であった。日常業務に忙殺される平日と違い、時間はタップリとある。いつしか稲守は休日には自宅でアイデアを練るリズムになっていた。〔てきすん〕の青写真ともいうべき構想図も、そんな稲守の五月の連休中に生まれた。
そもそも、稲守が〔てきすん〕の元になったサイジングミルの開発を手がけるようになったのは、昭和57年に総勢20名弱の“KGP”(鋼材合理化プロジェクト)なる社内チームが結成されたことによる。
当時、二度のオイルショックの後遺症もあって、各自動車メーカーは、より燃費効率のよいFF車の開発に全力を投じていた。そうして次々に画期的なFF車が開発の壇上に登る中、大同でもこれに応えるべく、生産能力の増強と、日々進化を続ける自動車技術に対応するための生産体制の合理化や技術計画の策定が焦眉の急になっていた。“KGP”は、この使命をクリアするために生まれたのだ。
圧延担当として“KGP”に参加していた稲守は、これまでより遥かに効率的な生産を実現する新たな圧延設備を模索していた。この頃、圧延の分野ではすでにかなり合理的で高度な生産設備とされるドイツ製のサイジングミル(精密圧延設備)が市販されていたのだが、社内の“空気”は、これを購入する方向に動いていた。大量の需要を目の前に、一刻も早い結果を急いでいたのだ。
しかし当の稲守は、既存のサイジングミル導入に強く反対の意を示す。“圧下調整なしに、どんな材料でも精密圧延可能”と謳うこの設備を考察した結果、『そんな、うまい話はない!』と直感したのだという。しかもこのサイジングミルを導入するには、当然莫大な費用もかかるのである。
「せっかくうってつけの設備があるのに…」と訝しがる周囲の空気を尻目に、こうして稲守は新たな圧延設備の独自開発を答申し、開発許可を得たのだった。 |
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案の定、「設備メーカーでもないくせに…。」というような雑音が日々稲守の耳に届くようになった。それでも独自設備の開発に固執したのには、稲守なりの信念があった。
「既存のサイジングミル設備は、“圧下調整なしに、どんな材料でも精密圧延可能”と謳っていましたが、材料となる鋼は、材質によって熱膨張率が異なっています。これを一定にできるような“魔術”はあろうはずがない。圧下調整が必要なはずなのです。それに、この設備がもし宣伝文句通りの優れものであったとしたら、同業他社がこぞって導入するでしょう。そうなれば、製品の単価はみるみる下がるだろうし、設備投資に見合う採算がとれるかどうか甚だ疑問だったのです。他社と同じやり方で生産・供給していたのでは、計画通りの受注を維持できるかどうかも分らない。」
つまり稲守は、新時代を勝ち抜く付加価値の必要性を感じていたのだ。稲守が自宅で描いた構想図は、この付加価値の追求に重きが置かれていた。
やがて構想図に基づいた試験圧延を重ねるのだが、彼らは連続してトラブルに見舞われることになる。あるときは、材料の後端が圧延機に残ってしまう。またある時は、圧延後に材料の伸直度を得るため、曲がりを矯正すると、部分的に曲がりが生じてしまった。この問題は、当初から現場の技術者達に、こうした現象が起こる可能性について指摘されていたのだが、それまでの実験では、どんなに調べてもこの曲がりは発見されなかったので、半ば安心していたところにきてのトラブルだった。
こうして試験圧延を繰り返すうちに、いつしか時は過ぎ、その費用も膨れ上がり、やはり「だから既存のサイジングミルを導入するべきだったんだ」という趣の揶揄も飛んだ。
この点、既存のサイジングミルでも材料の曲がりなどのトラブルは発生するという確認がとれてはいたが、しかしそれを言い訳にはしなかった。彼らが生み出そうとする新たな圧延システムは、それと横並びの性能では意味がないのだ。
ここへきて、既存の設備を遥かに超えなくてはならないというプレッシャーと周囲からの重圧が、稲守らに重くのしかかる。そんな中、彼らはあまたのトラブルの原因を一つ一つ究明し、徹底した対策を施していった。
それは膨大な作業量であったが、一方でゴールへの着実な前進を意味していた。数多くの改善を積重ね、新たな圧延システムの成功に確信を得つつあった稲守には、トラブルに対処する苦労すら技術屋としての“楽しみ”に変わっていたという。そして、一枚の構想図からはじまったプロジェクトは、今や大同内の“空気”を一転し、現場の技術者から営業担当者までを味方につけ、力強く前進していった。 |
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