蘇る真空浸炭技術
モジュール式真空浸炭炉 WITH YOU Vol.56 平成19年春号掲載

 
宮嶋孝士    
機械事業部 工業炉営業部長 真空浸炭プロジェクト リーダー 宮嶋 孝士    

モジュール式真空浸炭炉
モジュール式真空浸炭炉
設備外観(浸炭モジュール数:6)
  “真空浸炭”船出の年―。“真空浸炭炉”開発のプロジェクトをリードしてきた宮嶋は、今年2007年をそう位置づけている。
  真空浸炭とは、自動車部品のさらなる高強度化を可能にする熱処理技術の一種で、部品の品質向上はもちろん、生産性の向上や環境負荷低減をも可能にするという点においても画期的な技術である。この夢の技術は、自動車の燃費向上をはじめ、現代社会のニーズに大いに貢献するものとして世界中で関係者の注目を集め、これを用いた真空浸炭炉がすでに自動車メーカー等で導入されている。
  しかしながら、設備としての実用性は、未だ評価を得るまでには至っていない。様々な課題を抱え、もはや非実用的設備との烙印を押されつつある真空浸炭炉。これを蘇らせることを、自社に冶金技術と設備技術を有する大同の天命と信じた者たちがいた。企業の総合力を結集して、本来の威力を存分に発揮する真空浸炭炉を完成させようとする宮嶋らの軌跡を追う。

浸炭技術ブランクからの脱出

  かつて、大同ではダイカーボという商品名でガス浸炭炉の設計製作を手がけていた時代があった。40年以上も昔の話である。しかし、諸事情によりガス浸炭炉は大同の製品群からその姿を消し、浸炭技術の蓄積は長い間、途絶えたままとなっていたのである。大同内では話題にのぼることすら少なくなっていた当時、ひとり浸炭炉開発への想いをくすぶらせている男がいた。
  2000年、数々の工業炉開発を指揮してきた宮嶋は、鉄・銅・アルミの主要3金属の溶解炉から最終仕上げ焼鈍炉までのラインナップを完成させ、次に揃えるべきは浸炭炉だけとの思いを胸に秘めていた。浸炭の対象鋼材である肌焼鋼は当社の主力量産鋼であり、大手自動車メーカーにおけるシェアは大きな割合を占めている。この肌焼鋼に新規参入可能な新しい熱処理技術を開発し、付加することができれば、さらなる業容拡大が可能と考えていた。しかし、現状ではすでにガス浸炭技術の完成度は高く、再参入の余地などまったく無いかのように見えた。
  一方この頃、国内の一部の炉メーカーでは、ガス浸炭を上回る品質、生産性向上、環境負荷低減を実現できるといわれる“真空浸炭炉”を開発し、自動車メーカー等に既に導入されはじめていた。これらのニュースによって、国内での真空浸炭炉への期待は大きく膨らんだが、実際には品質、設備の安定性、メンテナンス性などにおいてCS(顧客満足度)を勝ち取るには程遠く、厳しい状態であった。
  こうした中、 2002年、宮嶋は偶然友人から真空浸炭技術について話を聞く機会に恵まれ、浸炭炉参入への夢は、さらに大きくふくらんだ。この技術に秘められた可能性、国内浸炭炉の状況等を耳にして、一筋の光をみたのだ。
  早速情報収集を開始する。そこで得た情報は、ますます真空浸炭炉開発へと駆り立てた。真空浸炭とガス浸炭では、浸炭する環境が真空下(実際には減圧下)か、COガス下の違いだけではなく、その挙動に大きな違いがある。ガス浸炭のノウハウが通用しないということは、現時点で浸炭技術の蓄積を持たない大同もスタートラインに立てるのではと考えたのだ。また、大同の研究部門が真空浸炭技術を用いた新しい材料開発に着手していることも知り、真空浸炭に寄せる期待とポテンシャルの大きさを実感した。
「材料開発もできる大同なら、必ず成功することができる。」
宮嶋は、真空浸炭炉の開発こそ大同が挑戦すべき最重要課題だと確信したのである。  

夢の技術が迎えた試練

  友人から話を聞いた翌年の2月、善は急げとばかりに、機械事業部から真空浸炭炉の独自開発を会社幹部へ提案した。しかし、そこにはやはり浸炭技術に対する長年のブランクが立ちはだかる。いくら真空浸炭がまだ国内では草創期にあるといっても、大同にとって40年近くもブランクがある浸炭技術の分野へ飛び込むことは、大きなリスクが伴うと判断されたのだ。
  提案は、すんなりとは受け入れられなかったものの、「開発のパートナーを探すべき」という課題を与えられた上で保留とされた。そうは言っても、これまで浸炭技術においての実績がほぼ皆無に等しい大同と運命を共にしてくれる相手を探し出すのは容易なことではない。
「あきらめるしかないのか・・・」
  ところが、そう思い悩んでいたところにまったく思いもかけなかった朗報が飛び込んだ。1997年ごろからブレークし、日本よりも真空浸炭炉の普及が進んでいる欧米。その市場を二分する真空技術のトップメーカーの一つ、独・ALD社から技術提携のオファーがあったのである。当初探していた自動車メーカー等のように、直接顧客となりうる相手ではないが、開発後のユーザーが限定されないという点では、むしろ設備メーカーであるALD社は大同にとって絶好のパートナーである。そして、なによりも真空浸炭に関する世界トップクラスの技術を有することを考えればこれ以上の相手はいなかった。
「この時は自分の運の強さを感じずにはいられませんでしたね。」
と、当時を振り返る宮嶋の言葉通り、最高のパートナーとの運命的な出会いを果たしたことで、真空浸炭炉開発の計画はついに動き出す。
  その後、会社からの正式なGOサインを受け、今後の開発の準備を進めていたが、日本の真空浸炭炉普及草創期とも言える当時の真空浸炭の操業状況は必ずしも好ましいものではなかった。むしろ、真空浸炭炉は工業的設備として難しい部分が多いとの評価が浸透しつつあった。
「このままでは真空浸炭の火を消しかねない・・・。」
真空浸炭技術への不信感が高まるのを目の当たりにしながらそう感じずにはいられなかった。そして、この不信感と戦いながら、この素晴らしい技術を必ず真の意味で実用化させるという覚悟を新たにしたのである。

 
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