20歳になったばかりのダイアナ・スペンサーとチャールズ皇太子の結婚で、本国イギリスのみならず全世界が沸き返っていた1981年7月、竹内宥公は欧州視察の途上にあった。当時、溶接を自動化する開発に携わっていた竹内は、スイス及びドイツで興味深い光景に出会った。そこでは、舶用エンジンのバルブ生産工程で、粉末材料を用いた溶接が自動化されつつあった。
この頃、ほとんどが自動化された自動車製造工程のなかで、エンジンバルブの表面改質だけが、手作業の溶接として残されていた。溶接の自動化を、大きな課題として思い悩んでいた竹内は、欧州での体験に大いなる希望を感じた。
今号は、
完全自動化された溶接システム
を完成させるまでの数々の困難、そして飽くなき挑戦で解決を見た技術者にスポットをあててみる。
エンジンのバルブヘッド(かさ状に開いたところ)は、用途上、耐熱性と耐磨耗性が要求されるが、その条件を満たす材料で製造するとコスト高になるため、ヘッド部分に耐熱・耐磨耗性の高い材料を、溶接でコーティングして表面改質を施す。当時この工程だけが 手作業として残されていた。しかもそのころ自動車エンジンは、『マルチバルブ化』の進展で、バルブ生産量が飛躍的に増加していた。
竹内は、入社時から溶接材料と溶接システムの開発を担当していたが、当時は長さ1〜2mのロッド状の溶加棒を用いるガス溶接が一般的で、長時間に及ぶ連続自動化には限界があった。自動車関連メーカーとの結びつきが深い大同の『溶接屋』である竹内にとって、自社の生産効率アップはもちろんのこと、自動車工業界の発展をも含めて、溶接システムの自動化は急務だった。
竹内がスイスで見た粉末溶接法は大型部品にしか採用されておらず、小型化と生産効率を高めるスピードが要求される自動車のバルブヘッドには使えないものだった。
エンジンバルブへのPPW施工の様子
他方、プラズマを熱源として粉末を溶加材とする溶接方法が、同じく欧州で研究されていた。視察を経た竹内は「これらをさらに技術改良すれば、自動車エンジンバルブ用の完全自動化システムが実現できる」という考えを抱く。さらにはこの81年頃、大同でもタイミングよく
粉末材料
を扱う事業部がスタート。成功を確信し、竹内は開発に着手することになる。
竹内が採用した自動化溶接のためのシステムは、PPW(プラズマ・パウダー・ウエルディング)と呼ばれる。この方法は、熱集中の良好なプラズマを熱源として活用することで、一般アークを超えるスピードが得られる。そのプラズマ中に、粉末状のコーティング材を供給して溶融、それを母材に吹き付け、表面に溶着金属膜を形成するのである。
しかし、熱効率のよいプラズマであるがゆえの問題が発生する。粉末を溶かして噴射するトーチが高温に耐えられない事態が発生したのだ。この事態に関しては、トーチ内部に冷却水を循環させることで解決をみたが、さらに次なる難問が発生する。プラズマ・アークとは本来、高熱で物を焼き切るという性質に非常に優れているため、開発初期には度重なる母材の切断、変形という事態に見舞われた。
この、両刃の剣ともいうべきプラズマの特性をコントロールするには、ガスの噴射量や電圧の調整など、制御系技術の追求が不可欠だった。高熱による母材の変形には、母材を受ける台に、冷却水を循環させるという方法が取られて解決を見ていく。また、トーチに関しては製品の形状ごとに対応するための改良が不可欠で、バルブ関連のトーチだけで、4年間で数百個もの試作品が作成された。こうした、きめ細かな周辺技術の改良によりPPWの基本的なシステムが整っていくのである。