革新医療への挑戦
磁気シールドルーム

Interview
 
   
   

磁気シールドルーム
▲ 磁気シールドルーム
 今、医学界は革命的な“進化”を遂げようとしている。人体の細胞活動によって発せられるごくごく微弱な磁気を測定することで、ほんのわずかな体内の変調を検知し、疾病の超早期発見、超微細疾患の発見、未知の生体運動の解明、さらに今までは不可能だった高レベルの胎児の病気診断など、重病・難病に飛躍的効果を促すシステムが実用化されつつあるのだ。
 このような画期的な超精密生体磁気医療を実現するには、測定器の“進化”はもちろん、測定器が地磁気や電磁波の影響を受けずに、ごく微弱な人体磁気を検知し得る環境を創出しなければならない。
 そんな、限りなく低磁気な環境を実現したのが、今回の焦点、磁気シールドルームである。様々な制約を乗り越え、地磁気の1億分の1という夢の測定精度を可能にした男達の挑戦を振りかえる。
 

悲鳴に応えて

 デスクトップパソコンのモニター画面が、突如として乱れるといった経験をお持ちの方も少なく無いであろう。例えば、隣接したパソコンの電源が入るだけで、CRTモニターの画面はゆらめいてしまう。
 これが、もっと莫大な磁気が発生する環境になると、モニター障害はさらに深刻になる。特に精度要求の厳しい作業を行う場合は「仕事にならない!」ほどであるという。大同の磁気シールド技術の開発は、そんな”作業者達の悲鳴“に端を発している。
 その”悲鳴“は、1986年、市場開発部(現新分野開発センター)に着任して間も無い、伊丹をはじめとする開発チームの元に寄せられた。とある製造機器メーカーが先端の産業機械を開発したのだが、その機械の発する磁界は700ガウス(※1)にも達し、近くのCRTモニターはおろかフロッピーディスクなどにも深刻な磁気障害が発生してしまうというのだ。
 伊丹らは、独自の調査を元に、かねてからしたためていた開発テーマの一つであった磁気シールドに取り組むことになった。今に至り自他共に認める、”ミスター磁気シールド“伊丹の、最初の足跡である。
 「私の着眼はパーマロイでした。パーマロイは透磁率(※2)の非常に高い合金です。これを箱型の覆いにしてやれば、大半の磁気は透磁率の高い覆い部分を通るので、内部は磁気の影響を大幅に軽減できるのです。」

パーマロイの効果
▲ パーマロイの効果
 伊丹らはこの方式をすぐに実用化し、磁気シールドBOXとして販売を開始する。
 翌1987年には、磁気シールドBOXは、様々な磁界現場からの引き合いで、百数十組の販売実績を残す。この手の開発製品の滑り出しとしては、異例の成功といっていい。伊丹の開発者転身は順調に功績を伸ばしていくかのように見えた。


※1)ガウス:1平方センチメートルあたりの磁力線の数。数値が大きいほど磁力が強くなる。
※2)透磁率:材料の磁束の通りやすさ。

 

総務・人事畑の変わり種

 ここで開発を先導した伊丹の変わった生立ち(職歴)に触れたい。元来伊丹は開発者として大同に入社していない。主に総務・人事畑を歩いた完全な事務職だった。
 ところが長く人事の職にあって、新入社員勧誘のために、自ら大同についての見識を深めつつ学校まわりなどをしているうちに、伊丹は大同のもつ総合的なポテンシャルの高さに少しずつ関心を高めていった。
 「大同は非常に挑戦心の強い会社です。研究開発にも力を入れていて、それまでにも多くの画期的な開発を実現していました。でもまだまだ未開の領域がたくさんある。しかも、大同の総合力ならば実現できそうなテーマも少なくない。そう考え始めたら、なんとしても自分が開発に携わりたいって思ってしまったんです。」
 こうして伊丹は転部希望を提出する。これは一度では叶わず、2年越しの希望でようやく市場開発部への転属が決まった。長年知りぬいた総務・人事職を自ら捨て、初体験の開発職へ。この時、伊丹46才。新たな職務に挑戦するには、決して若い年齢ではなかった。
 

暗雲と光明

 はなしを元にもどそう。前述のように、磁気シールドBOXによって、開発者としてのスタートを順調に歩みだしたかのように見えた伊丹であったが、産業界の時代の流れは時に残酷である。
 磁気シールドBOXの主な用途はCRT式のモニターに対してであった。ところが、この頃、非CRT方式(液晶・プラズマ等)のモニターの実用化が急加速で進みはじめるのだ。
 「液晶やプラズマは、磁気の影響をほとんど受けないのです。ですからこれが普及すれば、当然磁気シールドBOXもまさしくお払い箱になる。」
伊丹をはじめとする開発チームは頭を抱えた。はじめて日の目を見た開発が、大きな実を結ぶ前に暗礁に乗り上げつつあるのだ。
 「磁気シールド技術は、これからの社会ではますます重要度が増すはずだ。だから絶対にこのままで終わらせるわけにはいかない。」
 伊丹の開発者魂に、本格的に火がついたのは、あるいはこの時であったかもしれない。磁気シールド事業存続の糸口を求め、各方面の調査に粘り強く飛びまわり、情報を集め続けた。そしてついに、伊丹らの元に思わぬ朗報がもたらされた。医療分野からの引き合いであった。
 それはかねてから研究に参加していた超電導センサー研究所からのものであった。この当時、医療分野では心臓から発せられる、ごく微弱な磁気を計測する超精密測定器、いわゆる心磁計を、地磁気などの影響をうけることなく稼動させる環境、つまり磁気シールドルームの需要が喚起しつつあった。
 磁気シールドBOXから磁気シールドルームへ。この新たな展開に、彼らはすぐに取りかかる。しかし今度は容積的にもだいぶスケールアップする。
 こうなると開発の規模は、スペース的にも費用的にも飛躍的に大きくなり、もう研究室の片隅で…、というわけにはいかなかった。
 
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