
65mの高低差では、ボルト一つの落下でも弾丸のような衝撃力が生まれてしまう。そんな危険をはらむ工事現場に、1日の工事従事者が数百人にも及ぶのである。異なる階層での同時作業は危険回避のため禁止した。しかしそれぞれが納期に迫られながらの作業で、現場は騒然としている。こうなると、その”交通整理“が大騒ぎである。
コチラを立てればアチラに不満が…という具合に、殺伐とした空気が流れる中で、稲垣らは冷静な判断と、強い意志を持って建設工事の調整に身骨をくだく。もちろん要所要所は自ら立ち会って施工確認や改善要求も課した。そんなこんなで、工事は予定期間中に滞りなく進み、たった一人の負傷者を出すこともなく無事に竣工を見るのである。
既にプロジェクト結成から3年の月日が流れていた。初運転のその日、稲垣らは固唾を飲んでその様子を見守っていた。
「正直に言うと、失敗からはじめればいいという思いさえありました。」
当時の心境を稲垣はそう語る。これまで幾度も机上計算を重ね、シミュレーションでは万全に思える完成度を見たが、灼熱の溶鋼がこれだけの規模で流れるのである。それに最初から万事上手くいく設備の例はそう多くはない。まして今回は大規模かつ、これまでに例のない独創的な設備なのだ。
まっすぐに下りゆく真っ赤な鋼を見つめながら、その場にいた誰もが、成功を祈る想い半ばに、次なる試練の覚悟を心のうちに秘めていたという。ところがこれは杞憂に終わる。
「大方の予想を覆す大成功でしたね。」
稲垣会心の笑みに、当時の興奮が滲み出る。
こうしてNo.2CCは遂に完成した。この世界で唯一の画期的な連続鋳造設備をラインナップしたことで、大同は既存のNo.1CCと併せ、大量〜少量多品種、量産鋼〜高級鋼をそれぞれ比類なき生産効率で安定供給することに成功する。
それから十余年。累計500万トンの高品質特殊鋼を世に送り出し、今なお、世界でOnly Oneという孤高の牙城を守りつづけるNo.2CCは、知多工場をして世界No.1の特殊鋼工場と称さしめる原動力のひとつといっていい。
稲垣は今、その知多工場の長を務める。
「今なおOnly Oneだからって、我々は決して立ち止まりませんよ。いつだってさらなる
Only Oneへ挑戦していきたい。そして必ず世界のTOPでいつづけます。」
ただ造るだけなら面白くないとうそぶいた、かつての稲垣節は健在のようである。次なる挑戦への序章が或いはすでに始まっているように思われる。 |