特殊鋼電気製鋼と大同のルーツを求めて―
電力に賭けた男 福沢桃介

途中下車と歴史の幕開け  いよいよ押しも押されぬ実業家となった福沢桃介は、次に電気の消費用途を思案する。
そこで、冒頭の駅のホームへと歴史の場面が移るのである。
 新進気鋭の電気技術者とは、当時名古屋電燈顧問を務めていた 寒川常貞である。この寒川と桃介、時代に選ばれたこの2人の立ち話から大同の、そして日本の特殊鋼製造のすべては始まった。寒川は、欧米視察を終えて神戸から東京に向かう途中、名古屋で同社一同の出迎えを受けた。名古屋駅で寒川と対面した桃介は、海外視察の労をねぎらうとともに、早速その場で余剰電力の利用策についての調査を依頼する。
 帰国早々、桃介からの依頼を受けた寒川は、すぐに欧米から持参した資料を紐解き、検討した結果、余剰電力の使い道を“製鋼業”に見出した。電力の多量消費が見込めるだけでなく将来性豊かな産業と読んだのだ。欧米諸国の産業事情に精通し、電気技術者として優秀な能力を有する寒川を桃介は篤く信頼していたことだろう。とはいえ、当時日本では工業化さえされていなかった特殊鋼をまったく新しい製造法、つまり電気アーク炉によってつくろうというのだから、持ちかけられた経営者なら多少なりとも躊躇する気持ちが生まれてもおかしくない。しかし、桃介はこの報告をすぐに受け入れてしまうのだ。それは単に、桃介の奔放さを物語るのみではない。“経営者は傲るな、偉ぶるな、英雄は必ず滅びる”という経営哲学のもとに、「経営者は人の話を良く聞け」という信念を持つ桃介には、当然の行動だったのかも知れない。
 ともかく、桃介は、この寒川の提言に即決でゴーサインを出し、その年の末から直ちに電気炉による合金鉄・工具鋼などの試作研究が開始された。名古屋電燈の熱田発電所内に製鋼部門が設置され、試作のための場が設けられたのが、なんと翌年大正4年のこと。さらに合金鉄の試作から特殊鋼の試作へと移り、驚異的なスピードで事業化への準備が進められる中、寒川はエンジニアとしての自らの技術と、国内外で得た豊富な知識を駆使し、国内初の電気炉の設計・製作に着手していた。
 そして大正5年、ついに寒川は工業用として日本初となる1.5トンエルー式アーク炉を完成させる。あのプラットホームでの立ち話からわずか2年後のことである。そしてこれが、電気炉による初の工業的特殊鋼生産のスタートとなった。
 

アーク炉の時代  “名古屋は日本のマンチェスター” 産業革命発祥の地になぞらえて、桃介はそう語った。
名古屋電燈の電気炉による製鋼スタート以来、桃介の思惑通りこの地を中心に日本の製鋼業は進展していった。おりしも時代は、第一次世界大戦の勃発をむかえ、特殊鋼の輸入は非常に困難になりつつあり、当然在庫も底をつきはじめていたころ。
 そうした状況の中で、名古屋電燈製鋼部は、このアーク炉の完成から程なく、大正5年8月19日に電気製鋼所として独立。寒川の手がけたエルー式アーク炉は、当時のルツボ炉製鋼、酸性平炉製鋼に比較して、生産性・品質面で大きな優位性を誇り、他社の追随を許さない品質に優れた製品で市場を独占する勢いであった。
しかしながら、その後は激動の時世にあって、
あるときは操業中止や鋳鋼への転身を余儀なくされ、また一方では、著しい技術的進化を遂げと言ったことを繰り返しながら、歴史を進めていく。会社組織としても、分離独立、合併などを経て、現・大同特殊鋼へと向かっていくのである。その過程では、天才福沢桃介の先見の明や巧妙な人材登用と、その経営手腕が遺憾なく発揮されているわけであるが、その点については、また別の機会にご紹介したい。

 

大同フロンティア精神のルーツ

『要するにいかにして社会に立つべきかは、時勢に応じて改めなければならぬ者である。』
桃介伝の中で、その時代の偉人と呼ばれる人々を比較し、すでに過去のものとして廃れてしまった主義や、現代的で適切だと感じられる主張について言及し、桃介はこう結論付けている。おそらく当時としては、珍しい柔軟な思想であろう。桃介本人の思想を書物から辿ってみても、敏腕を振るう相場師としての“金至上主義”から、周囲を圧倒するほどの信念を貫き通す野心的実業家としての“理想主義”、そして国のための事業を堅実に残そうとする良質の経営哲学を醸成していったように思われる。そして主義は変化しても、その根幹となっているのは、“機を見るに敏、人の架けた橋を渡らない”と評された桃介の精神なのである。一方、現代の大同には、時代の要求を読み、前代未聞の性能、画期的技術等を生み出すため日々挑戦を続ける技術者の姿がある。
 どうやら、創業者のたくましいパイオニア精神が、確かなルーツとなって今日の大同魂を育て上げてきたようである。

 

〔参考文献〕
福沢桃介生誕100年展 記念講演/福沢桃介の足跡をたづねて/特集記事 「出る杭であり続けた男」/日本の電力王 福沢桃介 大同の歴史 ミニ社史/シンポジウム記録 中部の電力のあゆみ/鬼才 福沢桃介の生涯/桃介式/大同特殊鋼50年史 

 
 
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