受け継がれる大同DNAを探る―
素晴らしき異端”桃介式” WITH YOU Vol.52 平成18年春号掲載

 
写真    
大同特殊鋼 創業者 福沢桃介    

大正9年の竣工直後
竣工直後の二葉御殿
(C)名古屋市

二葉館内のステンドグラス

 赤い瓦葺き屋根の瀟洒な洋館。『二葉御殿』と呼ばれた大正ロマンの香り漂うこの建物は、当時の要人が夜な夜な集うサロンであった。
 一般家庭なら、電灯などひとつあればマシな方という時代に、いたるところに電灯が灯り、まばゆいばかりの光で室内を照らし出す。窓には、その光を華やかに通す見事なステンドグラスの数々。大広間には政財界人、文化人が顔をそろえる。スマートに背広を着こなす優秀な実業家、福沢桃介が主として出迎え、廻り階段からは、“日本の女優第一号”川上貞奴が桃介のパートナーとして優雅に美しく降りてくる。その場に居る誰もがこの館の華々しさに圧倒され、『電気のある暮らし』の素晴らしさが鮮烈に印象付けられるのである。
 例えば、この二葉御殿での一幕も桃介独特のビジネス戦略、いわば『桃介式』のひとつだったと言われている。電力王と呼ばれ、精力的かつ巧妙な経営手腕を振るった鬼才桃介。前号では、その桃介に電気製鋼と大同のルーツを探りご紹介した。今号のフロンティアDでは、桃介自身の性質と桃介式と言われた独特の経営手法をあまたある逸話に探り、大同の歴史に流れるDNAとして追ってみたい。
 

”フクザワ”に刻まれた思想  福沢桃介という人物を考える上で、彼の“姓”は重要な意味を持つといえる。
 前号でもご紹介したとおり、桃介は株の取引によって“成金”という言葉を生むほどの財を成し、その後、『金儲けの退屈』と本来の用心深い性格から、まじめな事業に転向しようと考えるようになった。だが、それ以前から事業に向かうということは“フクザワ”の姓を持った桃介にとっては、必然だったのかもしれない。
 桃介は明治元年に岩崎桃介として生まれ、その後、慶応義塾に入塾。塾の創始者であるあの福沢諭吉に認められ、その養子となった。
つまり桃介の「福沢」は、福沢諭吉の姓に由来しており、事業に向かったのはこの諭吉の思想を受け継いでいるといえるだろう。
 福沢諭吉という人は、欧米諸国を旅行した折に感じた世界の中の日本の弱小さが無念でたまらず、祖国の事業を発展させ地位を高め欧米諸国と対等になることを生涯の夢にした人物である。その夢の実現の一環として北海道開拓に力を注ぎ、北海道炭鉱鉄道会社を創立して桃介を同社に入社させている。また、諭吉は西洋における水力発電の発達した状況を述べ、水力発電の有望さを説いてもいるのだ。
 後年、あまり良好な関係とは言いがたい仲であったとも言われている二人だが、偉大な思想家である諭吉のそばにあって、桃介がその影響を受けていないと考えるのはあまりにも不自然である。また、負けず嫌いで気性の激しい桃介の性格を考えれば、諭吉への精神的なわだかまりがあればこそなおさら、事業をやって成功させたいという野心を燃やしたとも考えられる。
 ともあれ“電力王”“経営の鬼才”と呼ばれた桃介の中には、血のつながりこそないものの諭吉の思想が少なからずDNAとなって息づき、そこからすべては始まったといえるのである。
 

緻密にして大胆不敵 「福沢さんは、大胆不敵というか先見の明があったというか、何しろえらい人でしたね。」
 大同創業期を知る人々は、桃介の存在を尊敬と愛情とを持ってこう語る。
 確かに桃介の逸話の数々を紐解いていくと、その決断、行動の大胆さに驚かずにはいられない。大同のルーツである電気製鋼のスタートについても同様で、桃介の強力なパートナーであった寒川(大同電気製鋼所 初代社長)ですら、「福沢さんのやり方を見ていると、ゾーッとした。」と、語っている。木曽川の水を使った発電、その余剰電力を駆使した製鋼という構想は素晴らしく、その着眼点はまさに桃介にしかない才能の賜物といえるであろう。だが一方で、鋼の造り方を全然知らないで電気製鋼を始めた尋常ならぬ思い切りの良さにはパートナーであった寒川も驚愕していた様子である。
 こうした大胆不敵なイメージの強い桃介であるが、数々の不可能を可能にすることができた理由は、潔さだけではなく緻密な計算を瞬時にできる彼一流の冴えがあったからに他ならない。これは、桃介の事務処理ひとつにも現れていて、手紙の処理の迅速さなどは見ていて面白いほどだったという。
 例えば、日々桃介の元に届く四、五十通の手紙。このすべての封を切り、まず2つに大別する。分け方は、返事を要するものと要しないもの、と実にシンプルである。返事のいらないものは即座に紙くず篭へ。返事を要するものはさらに2つに分けられる。今度は、返事に間違いがあってはならぬ重要事項と、多少の間違いは差し支えないもの。間違ってはならないものは秘書に命じて口述で返事を作成する。間違ってもいいものは秘書に書かせるといった具合である。
 こうした理路整然とした瞬時の判断の積み重ねが、一見無謀な挑戦に見える行動の裏づけとなっていると考えると、桃介の常に自信にみちた言動や、成功を確信しているかのような行動もうなづける。不可能を可能にする力は、当然ながら単に桃介の運を味方につける能力ばかりに頼るものではなかったのである。
 
 
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