ひとりの人間としても、天才経営者としても、福沢桃介の人生にとって欠かせない女性がいた。川上貞奴そのひとである。 伊藤博文などの明治の元勲のひいきをうけた一流の芸者から、海外でも『マダム貞奴』として人気を博した日本初の女優へと転身し、その美貌で人々を魅了し続けた女性である。 お互いに書生と芸者として幼い日に運命の出会いを果たした二人だが、すぐ後に桃介は、留学のために諭吉の娘と結婚する決意を固め、貞奴とは道を分かつことになる。 余談だが、桃介が留学に向かう出発直前に、貞奴は桃介に会いに行き、『歩む人生は別々でも、あなたはあなた、私は私の道で必ずや成功しましょう。』と、涙も見せず気丈に語ったという。 果たして、その約束を互いに果たした格好で両者は再会し、貞奴の夫の死後、生活を共にするようになる。この両者の関係については、運命の恋の成就というよりは、『共同企業体』にたとえられるような協力関係にあったというのが定説となっている。その2人のコンビネーションを物語るのが、冒頭の『二葉御殿』の様子である。 当時、二人が暮らしたこの邸宅は、和洋折衷の豪華かつ斬新なものであり、単なる生活の場ではなく木曽川開発や電気事業を円滑に進める社交の場でもあった。そのため、『電力』というものをアピールしようと、いたるところで電灯が煌々と照らされ、家の外からでも光が美しく見えるよう、ステンドガラスが惜しげもなく飾られた。室内では美しい貞奴が芸者時代の腕を活かして客人を巧みにもてなす。ここでは桃介の演出の元に、2人のコンビネーションで『電気のある暮らし』という夢の世界を見事描き出したのである。 桃介が晩年近くなるまで、この2人の共同体制は続く。その間、貞奴は発電所の工事現場に訪れて現場の人間を激励したり、体の弱い桃介の健康管理を行ったりと、大活躍で桃介のよき伴侶であり続けた。『桃介式』の輝かしい実績には、類まれなる桃介の才能とともに貞奴の活躍が欠かせないものであったといえるだろう。
「俺は誤解さるべくできている。」 そう自ら語った桃介は、いわば異端の経営者であった。 思うまま奔放に行動し、目立つ演出を好み、時には社員を怒鳴りつける激しい気性の人物。 相場師から成り上がり、ケチでいつでも金儲けを企む拝金主義者・・・。 桃介が異端たる所以とは、こうした世間の評判に沿った性質によるところだったであろうか?現実には鬼才と称された本質は、そこにはない。 自分の道を突き進む独立独歩の精神。冷静に自分自身を見つめる目。常に周囲の人間を思いやる気配り。そして、自分の欲におぼれない潔さ。 こうした性質があったからこそ、大胆な行動は功を奏し、不可能を可能に変えることができた。つまりこれこそが異端たる本質であり、受け継ぐべきDNAだといえるであろう。
〔参考文献〕 大同製鋼 昔ばなし/鬼才 福沢桃介の生涯/桃介式/大同特殊鋼50年史/福沢桃介翁略伝